今日はウィーンからプラハへ移動。

急遽、寄ろうと思い立ったものだからチェコについての情報が殆どなくかなり不安なまま向かう。

駅に着くと、見ず知らずのおじさんが近付いて来て自分の家に泊まらないかと言う。 値段は破格。カタコトの日本語と愛嬌のある笑顔に思わず話に乗ってしまった。
今思えば、かなり危ないことしたなぁと反省だけど、、、。

ジョセフおじさんの車に乗ってかなり行くと、住宅地にある一軒家に到着。 庭には確実に役割を果たしそうな、四つ這いになった私より大きい犬が3匹。 家はお世辞でも綺麗とは言えないが、安いし悪い人ではなさそうなので1泊だけすることにする。

部屋に荷物を置き、街の中心地(旧市街地)へ。
実際にプラハに来るまで何故皆がプラハがいいと言うのか分からなかったが、旧市街広場とカレル橋まで来て納得した。

古いままの街並は他とはちょっと違う、確かに感動する景色がそこにはあった。

Photo : カレル橋


市民会館のカフェ

内装はアルフォンス・ミュシャなどチェコを代表する芸術家が担当した。


火薬塔

15世紀に建てられた当時は防衛のものだったが、 17世紀に火薬貯蔵庫として利用されて以降、現在の名で呼ばれるようになった。


ティーン教会

典型的なゴシック様式によるこの教会はフス派の拠点だった。
ひと際目立つ2つの鐘楼の高さは80m。
鐘楼は1270年に建築が開始されたが途中でゴシック様式に変更、1475年に完成。


聖ミクラーシュ教会

白い外壁の美しいバロック様式の教会。
今はプロテスタント系の教会で、18世紀の竣工当時はベネディクト派の教会だった。
音響の良さでも知られ、19世紀には音楽会場になっていたこともある。
プラハ2日目。

まず、今日泊まるホテルへ行き荷物を預かってもらい
その後、プラハ城へ向かう。

ところがプラハ城へ到着する前に一波瀾。

電車のチケットをとりあえず一番安いものを買って後で精算しようと思っていたらPOLICEに捕まり罰金を支払わされる。
説明していると「それ以上何か言ったら2,000コルナ(約1万円)」と言い出し、 今にも警察に連れて行かれそうになったので仕方なく罰金400コルナを支払う。(右写真は罰金を払ったという証明チケット)

その後取り締まりのおばさんをこっそり観察していると、 どうも黒髪のアジア・アラブ系の人やリュックを背負った旅行者を狙って捕まえているようだった。
全員のチケットを見るならともかく隠れたところから出て来てピンポイントで取り締まるという行為に無性に腹が立ち、 すっかり気分が悪くなる。

* * * * * * * * * *

プラハ城へ行き、少し気分も良くなる。
だが、その後行ったレストランでも書いてある金額の倍近く支払わされたり、カレル橋の塔では最初は無料と思わせて途中で支払わされたり、 なんだか騙されたような気分になって楽しめなくなる。

ホテルに戻ってチェックインすると「じゃあ付いて来て」と別の建物に案内される。
汚いアパートのような外観と簡素な部屋のホテルに連れて行かれる。 infomationでは綺麗な写真を見せられたというのに、これでは詐欺だ。
道路に面した1階でうるさいし、怖いし、最悪だった。

プラハへの印象は悪くなるばかり。



プラハ城

市内を一望できるフラッチャニの丘の上に建つプラハ城は、いくつかの宗教施設とボヘミア王家の居城との複合施設の総称。

9世紀以来、歴代のチェコの支配者が居城として定めた。
時代ごとに増築を重ね、様々な建築様式が見られる。

城壁内はさながら1つの街のようだった。
聖ヴィート教会

遡れば903年に建てられたというロトンダ(ロマネスク様式の円形教会)。
カレル4世の命により1344年に現存の姿の建築が開始され完成したのはなんと1929年。 現在では大統領の任命式が行なわれる。

聖ヴィート教会・第三礼拝堂の4万枚からのガラス片で出来たステンドグラスのうちの1作品は アールヌーヴォーの画家ミュシャによるもの。

   
旧王宮

12世紀に建てられ、ボヘミア王家の歴代の居城として使われていた。
当初はロマネスク様式であったが、幾度も修改築され、ゴシック、ルネサンス様式が加わった。
野心家オタカル2世が欧州の覇権を窺い、結局破れて戦死した後、ハプスブルク家の所有となる。

写真は、旧王宮内 中欧最大のヴラティスラフ・ホール。
天井の造りは、本当に素晴らしく、美しかった。
黄金小路

16世紀に城を警固する門番や警備兵のための住居として建てられた小さな長屋。いつしか錬金術師が住み、
人工黄金の研究に勤しんだとの伝説から(実際は城内の火薬塔が仕事場だったらしい)黄金小路と呼ばれるようになった。
フランツ・カフカが22番の部屋を借りていたことでも有名である。

   
シュテルンベルク宮殿

第二次世界大戦終戦後より欧州絵画の著名作品を展示してある美術館になっている。
Praha 3日目。今日は寒くて暗い。

まだプラハできちんとした美術館にひとつも行っていないので今日は美術館巡りをすることに。
ところが、国立美術館へ行ってみても国立博物館へ行くってみてもCLOSED。
仕方がないのでミュシャ美術館へ。
プラハでミュシャの大作『スラブ叙事詩』を見たかったのだけど、プラハではなくミュシャの生まれ故郷ブルノ近郊のイヴァンチッツェにあると言われ結局見ることが出来なかった。

シナゴークや踊るビルやカレル橋を観光してから夜景を見るまでに時間があったので、一度ホテルに戻ることにする。
日が暮れ始める21:30頃にてくてくと歩いてカレル橋へ。
街は驚くほど観光客で一杯だった。

夜のプラハは幻想的で素敵。

photo : 夜のプラハ カレル橋
カレル橋

ヴルダヴァ川(モルダウ川)に架けられた最古の石橋。
1357年にカレル1世が弱冠27歳の建築家P・パルレーシュに建築を命じ、60年の歳月をかけて完成させた。
全長516m、幅9.5mという堂々たる姿と、両側の欄干に建つ30もの聖者の像は圧巻。

写真右上:橋の上は観光客でいっぱいです。

写真右下:"触ると幸せになる"という像にはさらに人が集まります。



* * * * *

写真下(左から)

橋の上には似顔絵描きの人が沢山います。どの人もとても上手。

日本にキリスト教を伝えた聖ザビエルの像もあります。
ザビエルを支えているのは東洋人だそうです。

カレル橋の袂の風景。小さな観光用の船が通ります。



       


旧新シナゴーク

現存する欧州では一番古いシナゴーク(ユダヤ教会)
建立は1270年。新(大)シナゴークと呼ばれていたが、それ以前のものが残っておらず、
その後さらに新しいシナゴークが出来たので、現在は旧新シナゴークと呼ばれている。
1389年の反ユダヤ暴動ではここで多くのユダヤ教徒が虐殺された。
七つ手の燭台やダビデの星が印象的である。


踊るビル

賛否両論のデザイン建築。
女性がダンスしてスカートがふわりと揺れるかたちになっているので
「Tancici dum(踊るビル)」と呼ばれている。

国立美術館へ行った帰りに街で見かけたギャラリー。
古くて趣があって素敵。

横壁一面に絵が描いてある建物。
かなり古くなってしまっているが、壁一面というのが可愛い。
夜のプラハ
カレル橋からモルダウ川の向こうに見えるプラハ城は、とても絵になる素晴らしい景色。
     


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