ザルツブルクからウィーンへは列車で3時間半。

ザルツブルクでも感じたことだがウィーンに来て更に感じたのは、ひとつひとつの建物が大きいこと。 宮殿や広場やその他の名所全てがとてつもなく大きい。
狭い日本では考えられないくらいの規模に圧倒されっぱなしです。

まず初めにシェーンブルン宮殿へ。
日本語の音声ガイドが無料でついてくるのでガイドを聞きながら宮殿内を見学する。

次に、クリムトが興した分離派会館 "SECESSION(セセッシオン)"へ行くが、残念ながら休館日。 翌日また見に行くことにする。

オペラ座近くのCafe Sacher(ザッハー)でザッハトルテを賞味。有名店なので期待していたけれどいまいちだった。 家の近所の洋菓子屋さんの方が美味しいくらい。

路面電車でオペラ座からリンクをぐるりと回り、Hundertwasserhaus(フンデルトヴァッサーハウス)へ。 中庭のレストランでコーヒーを頂く。

店内にはさり気ないピアノの生演奏の美しい音色が響く。

音楽はどんな時でもダイレクトに入って来る。

バーゼルで逢ったココシュカの絵のことや、心に過る色々なことを考えていたら、涙が止まらなくなってしまった。


雨が降ったり止んだりの変なお天気でとても寒かった。


Photo : Kunst Haus Wien Cafe


本当に広くて大きい。
シェーンブルン宮殿

モーツァルトが6歳の時、初めて御前演奏をした宮殿としても有名。 1805年と1809年、ナポレオンがウィーン会議の際「会議はいっこうに進まず、ただ踊るのみ」と謳った大饗宴の場ともなる。
1961年にはケネディ・フルシチョフ会談が開かれホットライン条約を締結した。

1569年マクシミリアン2世が狩猟の館として入手。ここに動物園や庭園を造らせた。
その後、ハンガリー軍との戦いで傷んでしまうが、1605年マティアス皇帝が再建の命を出す。 彼は狩りの時、館の近くで "美しい泉 Schoner Brunnen" を発見したことから、シェーンブルンの名が付いた。

1683年、トルコ軍に破壊されるが、皇帝レオポルト1世は息子ヨーゼフ1世のために、フィッシャー・フォン・エルラッハに築城の命を出す。 ブルボン家のヴェルサイユ宮殿を意識したともいわれ、ハプスブルク家の権力を誇示するものとして、 ヴェルサイユをはるかにしのぐ大規模な計画がなされた。

この宮殿で最も重要な役割を果たしたのがマリア・テレジアで、 彼女の好みや意見を取り入れ、夏の宮殿としてニコラウス・パッカシーに大改築の命を出している。
部屋数1441。ボヘミアンクリスタルのシャンデリア、豪奢な金箔を張った漆喰装飾、東洋からのふんだんな陶磁器や沈金蒔絵など豪華絢爛。
Karlskirche(カールス教会)

かのマーク・トゥウェインに「これほど古典と近代が美しく共存している場所はない」と言わしめた カールスプラッツ(カールス広場)にある教会。バロック建築の傑作の1つに数えられる。

マリア・テレジアの父カール6世が、ペストの流行が鎮まるのを祈願して、 フィッシャー・フォン・エルラッハとその息子ヨーゼフに造らせた。
1716年に建設を開始し1739年に完成。


Secession(分離派会館セセッシオン)

黄金の球状を上に頂いた建物ゆえ「黄金のキャベツ」とも言われる。

黄金の球の実体は月桂樹の葉をモチーフにした透かし彫り。
19世紀末、皇帝や貴族の庇護を受けずに、まったく新しい芸術の波を起こそうとした芸術家達が築いた。

設計はヨーゼフ・マリア・オルブリヒ。 青銅の扉はグスタフ・クリムトの弟ゲオルク・クリムト作。アールヌーヴォーの花がここから咲くこととなる。
正面入口の壁の上部には、分離派のスローガン「時代にはその芸術を、芸術にはその自由を」と刻まれている。

会館内、地下にあるベートーベンフリースという部屋は、 ベートーベンの交響曲第九『歓びの歌』をテーマに描かれたグスタフ・クリムトの壁画がある。

フンデルトヴァッサーハウス



クンストハウスウィーン
Hundertwasserhaus und Kunst Haus Wien
フンデルトヴァッサーハウス&クンストハウスウィーン

日本では「百水」という雅号で有名な、芸術家であり建築家であるフンデルトヴァッサーの造った建物。

彼の絵と同じように外観の形や色彩の強烈さは奇抜だが、それぞれの窓辺に表情があり、テラスには草花があり、温かみを感じる。

フンデルトヴァッサーハウスは市営住宅で、今も生活している人がいるので中には入れないが、 クンストハウスウィーンは美術館になっていて見学できる。
フンデルトヴァッサーの作品だけでなく、他のアーティストの企画展も開かれている。

1階はレストラン。味もいいし雰囲気もいい。




レストラン内部


オペラ座の周囲にはこのような格好をした人が結構いて面白い。
彼等はオペラ鑑賞の勧誘をしている(のだと思う)。


















Sacher(ザッハー)
ザッハートルテで有名なカフェ。
室内は深紅と金色のザッハーカラーで統一されている。
ウィーン2日目。今日も寒い。

まずはハプスブルグ家の王宮を散策。
それだけでぐったりな広さ。シシィ博物館やその他の内覧はパスすることにする。

次にブリューゲルを見に美術史博物館へ。
2階の絵画館だけなので簡単に見られるだろうと思っていたのだが、これまた意外に広く迷路のようで途中でどこを回ったのか分からなくなってしまうほど。
ブリューゲルは本物を見て好きになった。

昼食を取り、街の中心にあるシュテファン寺院を見学してから昨日見れなかったセセッシオンへ。
中のギャラリーは私には良く分からない"現代アート"と呼ばれる作品展とクリムトの壁画。
クリムトの図柄のお財布に一目惚れして思わず衝動買い。

てくてくと歩いてオペラに戻り今日はインペリアルホテルでお茶。
かなり甘いけど大人な味のケーキは昨日のザッハーよりは美味しかった。

photo : ミヒャエル広場からみた王宮入口


↑ ブリューゲル『雪中の狩人』



← セセッシオンのパンフレットには、クリムトの絵があしらわれています。

ミヒャエル広場からの王宮入口




民俗学博物館




カール大公騎馬像(だと思う)
Hofburg ハプスブルグ家の王宮


ハプスブルク家が13世紀後半から1918年まで約600年以上に渡って住居としてきた王宮。
改築や増築が繰り返されてものすごく広い。
18の棟に19の中庭、庭園、2500以上の部屋が複雑に入り組んでいる。


■ハプスブルク家について■

ハプスブルク家の発祥は、ウィーンではなくスイスの北東部からドイツ西南部の一部だった。 ここを支配していた小貴族に過ぎなかったが、1273年ルドルフ1世が神聖ローマ帝国皇帝に選出されたのをきっかけに、 紆余曲折しながらもめきめきと頭角を現していく。

「戦いは他のものにさせるがよい。汝幸あるオーストラリアよ、結婚せよ」
これはマクシミリアン1世の有名な言葉であり、ハプスブルク家の家訓であった。 王家を発展させるために戦争ではなく結婚政策によって版図を広げていった。
中でも女帝マリア・テレジアの娘マリー・アントワネットがフランスのルイ16世の妃となったことはよく知られる話である。

『日没なき大帝国』と呼ばれた無敵の王国も、1859年のイタリア戦争で敗北して以来陰りが見えはじめて来る。
多くの民族の利害関係が入り乱れた結果の1つとして、1867年にオーストリア=ハンガリー二重帝国が形成される。 この時の国王はフランツ・ヨーゼフ2世で、妃はエリザベート。

こうして第一次世界大戦に突入し、それに敗れた1918年に崩壊するまで、650年に渡って中央ヨーロッパを支配していたのがハプスブルク家である。


 
シシィ博物館入口のシシィのシルエットは有名。 モーツァルト像のあるブルグ公園も王宮内です。
Kunsthistorisches Museum 美術史博物館

美術史博物館と自然史博物館は向かい合って在る。

美術史美術館はパリのルーブル、マドリッドのプラドと並んで世界三大美術館のひとつとされている。
特に有名なのはブリューゲルのコレクション。『雪中の狩人』や『バベルの塔』がある。
その他にもラファエロ、ルーベンス、ベラスケス、デューラー、フェルメール、アルチンボルド etc... 錚々たる顔ぶれ。
とても見応えがあった。


写真左)
美術史博物館と自然史博物館、ふたつの博物館の間に建つ
マリア・テレジア像

写真右)
美術館内でブリューゲルの模写をしていた人が居ました。
模写している作品は左の大きい絵『雪中の狩人』ではなく右の小さな絵の方。
本物と瓜二つの腕前とその細かな作業に驚きました。

 
Stephansdom シュテファン寺院

オペラ座から延びるケルントナー通りの行きつく先にある。

「ウィーンの象徴」あるいは「ウィーンの魂」と言われるシュテファン寺院。
天を突くようにそびえる塔の高さは137m。65年の歳月をかけて1359年に完成。
第2次世界大戦で、直接の被害は受けなかったものの、延焼で南塔にあったプムメリンという大きな鐘が落ちたり、かなりのダメージを受けている。
戦後、オーストリア各州からの寄付や奉仕で再建された。プムメリンは1683年トルコ軍が敗退した時、置き去りにして行った大砲等から造られた。

地下にあるカタコンベには、ペストで死んだ人々約2000体の骨とハプスブルク家の人々の心臓以外の内臓が保管されている。

   
ウィーン3日目。

今日も寒くて朝から雨が降ったり止んだり。

まずはMQ(MuseumQuartier ミュージアムクオーター)という大規模な複合美術館地区へ。
Leopold Museum(レオポルト美術館)でシーレ、クリムトなどを堪能。
ここはシーレの素晴らしい作品が充実していてとても良い美術館だった。
勿論シーレ以外にもいい作品が沢山ある。

例えば
・Max Oppenheimer " portrait of Tilla Durieux "
・Anton Koling " portrait of the Mother "
・Lwopold Hauer " chicken coop "
・Albin Egger-Lienz " Pieta " etc...


次にオーストリアギャラリーへ行き、またシーレ、クリムト、ココシュカを堪能。
シーレの『死と乙女』は元々好きな作品だったのだけれど、実際に見てみると、思っていたよりもずっと素晴らしくて感動した。

今日はいい作品たちに出会えて有意義な1日だった。



Photo : Oberes Belvedere(オーストリア・ギャラリー)
Austria Gallery(ベルヴェデーレ宮殿上宮)


トルコ軍からウィーンを救った英雄プリンツ・オイゲン公の夏の離宮。

この宮殿の上宮Oberes Belvedereは、19〜20世紀のオーストリア絵画を展示した美術館になっている。

ここではクリムトの代表作『接吻』や、シーレの『死と乙女』、若きココシュカの作品、フリードリッヒの風景画などに会うことができる。


← オーストリア・ギャラリー 入場券


ルートヴィヒ財団近代美術館(通称:MUMOK)パンフレット


レオポルト美術館(Leopold Museum)パンフレット

Leoport Museum


MUMOK
Museumsquartier ( MQ ) 博物館地区ミュージアムクオーター


大規模な複合美術館。正面の建物はかつて王宮の厩舎だった建物で、バロックの宮殿のように見える。 そんな建物を通り抜けると10以上の美術館、ギャラリー、イベントホールなどが集っている。

MQ内で最も有名で見逃せないのは、ルートヴィヒ財団近代美術館(通称:MUMOK)とレオポルト美術館。
MUMOKの方は理解できない現代アートだとばかり思っていて入らなかったのだが、 後で調べてみると、カンディンスキーやモンドリアン、ヘンリー・ムーアなどもあったようだ。入ってみればよかった。




MQの中庭にはこんなくつろぎスペースもある


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